Apr 4, 2006
ウルトラ家族「失恋」座談会
地球でふられた男と女についてのウルトラ家族座談会
ウルトラマン・ゾフィ ブログで失恋の話題が続いている。地球のふられた男と女を見ていると、世間の標準から見れば、どの人も比較的魅力的と思える。
ウルトラの父 むしろ、自分を徹底的に魅力がないと自覚している人の方が、相手に徹底的に尽くして、くっついて行くことになるのかもしれない。そうではなくて、自分が魅力的だと自覚しているから、ふられてあわてる人もいるのだと思う。彼らには油断があったと言うべきか。
ウルトラの母 これって、恋愛関係において全ての人が抱く感情でしょうか?ちょっと疑問に思います。前提に”2人は対等でない”という条件がついている、狭い範囲の話のような気がするな。
ウルトラマン・タロウ 対等な二人というのは、難しいでしょう。現実には。理念としてはいいですが。だから、どの二人も、対等ではないんですよ。
ウルトラマン 自分の魅力を自認する人たちは、ふられて当然だとは思えず、「わたしが何をしたというの?」「どこがいけないというの?」などといった感じ。
ウルトラの嫁 これではふられるでしょうね。一種の傲慢が宿っているもの。
ウルトラマン・ゾフィ 二人の関係の基礎が「愛」ではなくて、「支配」だったのではないか、と考えてみたらどうだろう。
ウルトラマン おっと、バルタン星人から飲み会だって。いい泡盛が入ったって言ってる。発酵させた豆腐がどうとか。僕が行ってくるよ。あいつは別れてから飲んでばかりだ。
ウルトラの父 人間同士の関係で、完全な従属を拒むケースが多い。当然といえば当然である。心理的には従属を拒んでいるのに、たとえば才能、たとえば金銭関係、また性格などで、相手に圧倒されそうな場合、最後のカードは、「ふる」ということだ。ふる時には、理由などいらない。「だってもう嫌いなんだ」でおしまいである。理由がないから、最後のカードとして使える。圧倒されている状況を反転させることができる。
ウルトラの嫁 お父様、そうよ!確かに!何だか緊張感のあるポーカーみたいですね。でも、それでこのお二人は、二人とも日頃から恋愛関係として楽しんで歩んで来たのでしょうか???私には疑問です。完璧な人はいないから、自分に無いものをその人の魅力と感じるし、尊敬の念もお互い湧いてくるように思われます。
ウルトラマン・タロウ 別れを言われた方、最後の切り札を出された方は、絶望もするし、さらには怒りに向かうこともある。あなたは誰かにだまされている、目を覚ましなさいなどといった話になることもある。これは自分は振られるはずはないという自負があるからだろう。裏返せば、相手の価値を低く見ていることになる。自分と同等と見ているのならば、ふられるかどうかは半々なわけで、いつもふられる可能性の準備状態にあるはずだろう。何度か心理的にリハーサルさえするだろう。しかしそれをしないということは、相手を低くみていたということなのだ。
ウルトラの母 これもなかなかシビアな「恋愛関係」ですね。私などはウルトラの父といつか分かれるとき、つまり相手や自分のお葬式を想像するだけで涙がじんわり出てきます。あなた。
ウルトラの父 それはそうとして、 タロウの言うことは、それは愛していたというよりは、「支配していた」に近いのではないか。支配されている側は、「支配を否定したいのだけれど、現実の理由を挙げても屁理屈にしかならない」という場合に、「どうしてももう恋愛感情はもてない」と言って、自分からふるという最後のカードをきることになる。ここで力関係は一挙に逆転することになる。
ウルトラマン・ゾフィ いずれかの時点において恋愛感情がこのようなパワーゲームにすり替わってしまっていること自体、やはりもう恋愛は終わりだったというべきなのだろう。愛を味わうのではなく、自分の方が優位だと主張し続ける。そして、他方は常に従属を強いられている、自分の劣勢を認め続けるという辛さを味わうことになる。
ウルトラの嫁 周りを見渡しても、時間がたつと、多くは「恋愛」は終わっていて、「共闘」または「支配」となっているというのが現代も脈々と地球の一部に見られる風潮なのでしょうか。
ウルトラマン・タロウ 恋愛感情があるうちに子供ができれば「共闘」関係になる。ローンの残りが多ければ、これも「共闘」関係になる。
ウルトラの母 生活費の関係か、才能、生活の点かで、「支配」関係になってしまうこともあるんですよ。現実生活はどちらかが主導権を握るわけだしね。支配される側にすれば、支配されることを認めるだけで、現実に利得があるので、さしてつらくはないと思える人も多い。責任ないわけだし。防衛機制で言えば、「甘いレモン」の理論です。思ったよりも甘いレモンだわと言って、現実を受け入れる。世の中には多いわよ。生活のためだから。
ウルトラの父 しかし中には利得にもかかわらず、負けん気が強くて、支配を認めたくない人がいる。そんな人たちは、「ふる」カードを準備する。ふられた側は不意打ちと感じて、うろたえる。やはりこれは恋愛ではなくて、パワーゲームというべきだろう。
ウルトラマン・タロウ 二人の選択として、AがいいかBがいいかと相談しても、「おまえのいい方でいいよ」と答える男性も多い。そういったなら、相手の結論にけちをつけてはいけない。なのに、けちをつける人も多い。これはずるい。自分は批判されない場所にいて、後出しじゃんけんみたいに、結論を見てから相手を批判する。
ウルトラの嫁 屋根に上らせてはしごをはずすっていう謀略ですね。
ウルトラの母 これでは、二人の共同体が二人で幸せになることは難しいわね。ただ二人の内部で、どちらが優位であるかを競うだけでしょう。本当は、二人で相談して、二人合計の幸せをさらに大きくしていかないと意味ないじゃない。たとえば、プロ野球で、相手チームに勝つのではなくて、同じチームのライバルに勝つみたいなものかな。しかもライバルのケガで勝つ。そんな変なイメージだな。不毛な感じだわ。
ウルトラの父 結局、最後のカードを出してしまう人も、出される方も、「自分を捧げ尽くして悔いのない異性」に出会っていないということだろう。
ウルトラの母 わたしはウルトラの父に会えてよかった。あなたにすべてを捧げて悔いのない人生だわ。これが本当の出会いだわ。
ウルトラマン・タロウ 二人の人生を始める前に、仕事の選択として、自分の人生を捧げて悔いのない選択をする人たちがいる。どんな仕事もそうだとは思うが、たとえば、宇宙防衛の仕事は特に人生を捧げて悔いのない仕事である。そのような基盤があって、つぎに、異性とどのようにして人生を共同してゆくかを構想すればよい。その場合には、一方が一方に捧げ尽くす愛すら可能である。
ウルトラの母 おまえの「である」調はかなり変だよ。直しなさい。で、捧げ尽くすにもかかわらず、それは「支配-服従」ではないわけなんですよ。深い愛なのよ。
ウルトラマン・タロウ 何が違うのだろう。捧げ尽くすことで、より大きな価値が実現できれば、損をしたとは思わないものだ。むしろ、報われたと思うものだ。服従は方法になっている。ここでは、一方の支配が目的ではないし、結果として服従が強制されているのでもない。果実をつかみ取るための有効な方法である。
ウルトラの嫁 「支配-服従」が効率的な目標達成戦略であるなら、「自分を捧げ尽くして悔いのない異性に出会った」ということになるのでしょう。
ウルトラマン・ゾフィ なんという聡明な嫁だろう。美しく聡明でセクシーで申し分ない。で、話を続けると、現実に「お互いを」捧げ尽くすということは難しくなる。内向きに見つめ合っていても、ほとんど何も生み出さないから。たとえば一方は仕事に身を捧げ、一方はその相手に身を捧げるという構図が多くなる。これは地球での伝統的な図式とも見える。妥協的成りゆきとしては、いくつかの側面について、自分が、また、相手が、それぞれに「捧げる」事になるだろう。これを総合して、「お互いに捧げ尽くす」ことが実現されるだろう。
ウルトラの父 もう愛情がないから別れたいと言うのは、女性に多いような気がする。先日離婚したバルタン星人もそうだった。
ウルトラの母 その時点で、その女性にとっては「愛情」が問題であり、パートナーの男性にとっては、たぶん、子育てとローン返済の「共闘」が問題なのでしょうね。子どもと持ち家がある夫婦なら。何もない夫婦なら、特に問題なく別れるかも。
ウルトラの父 「パートナーには偉大であって欲しい。しかし一方で、わたしをを大切にして欲しい。でも、わたしを大切にするような人は、偉大であるはずがない。」ここが矛盾点かもしれない。
ウルトラの母 このような矛盾や、相手の持ち札を推測して、緊張の続く「パワーゲーム」をするよりも、さきほどの地球防衛関係者とその配偶者の例のように、相手の優れた賜物が社会で役立つためのサポートをしているのだ、と肯定的に考えられる、「見返りを求めず、喜んで捧げ、捧げられて感謝する」(ちょっと言葉は古いですが)WIN-WINの愛情・恋愛関係・結婚生活が一番幸せな形に近いのではないかと思いますよ。ありがとう、あなた。わたしはしみじみと幸せだわ。
ウルトラの父 わたしこそ、ありがとう。君のおかげて、戦えるのだよ。ふたりはWin-Winだね。
Last updated Apr 4, 2006 07:31:21 PM
Apr 3, 2006
恋愛の根本矛盾の定理
パートナーには魅力的であって欲しい。
しかし一方で、わたしを大切にして欲しい。
でも、こんなわたしを大切にするような人は、
たいして魅力的であるはずがない。
ここが矛盾かもしれない。
みんな自分の価値については
何となく知っているものだ。
自分に釣り合う
魅力のない人を選べば、
結局、飽きる。
自分に釣り合わない
魅力的な人を選べば、
結局、飽きられる。
ちょうど釣り合うくらいにお互いに
成長しあえばよいのだけれど。
Last updated Apr 4, 2006 12:49:53 AM
櫂(かい)のしずくも花と散る
春のうららの隅田川 で始まる名曲、花。
櫂(かい)のしずくも花と散る
の一句は抜群。
詩人の胸に閃光が走ったその様子まで
想像できるようだ。
そのinspireにわたしは嫉妬する。
客観的写真的描写となっている。
櫂のしずくと散る花びらの重なりが古典的風情である。
わたしは桜が咲くと口ずさむ。
隅田川にかかるいくつもの橋を思い出す。
橋の上で語り合ったいくつかの感情が
いまもわたしを慰め、同時に責める。
それは若さというものであるが、あまりに妥協のないものだった。
春のうらら は 家持の
うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心かなしも 一人し思えば
のうらうらに(または うらうらと)を連想させる。
さらに 山本リンダの歌では うららうらら と繰り返している。
高校野球の応援でつかっているようだ。
うららうららうらうらよ うららうららうらうらで ……
うらら と うらうら が取り込まれているので、
万葉集と明治の唱歌をふまえた、まことに意義深い歌となっている。
阿久悠だと思う。
Last updated Apr 4, 2006 09:08:05 PM
しぶとい桜
雨が降ったけれど
桜 しぶとく 残りました
花びらが 風に舞うのは
今日か 明日か
Last updated Apr 3, 2006 07:21:52 AM
Apr 1, 2006
失恋の感想
失恋した20歳。
「幸せって、突然逃げていくんだねぇ」
失恋した30歳。
「幸せなんて最初からなかったんだ」
「突然」と思ったのは、自分だけで、客観的な情勢をみると、
じわじわと幸せは逃げつつあったのかもしれません。
つらいことですが、多分。
「最初からなかった」というのは、極端な思考でしょう。
そのときは少なくとも幸せだったと思います。
Last updated Apr 1, 2006 11:59:04 AM
うつ病と失恋
今日は、うつ病と失恋は似ているという話に
なりました。
喪失体験がどうのじゃなくて、
「自分ではどうしようもない」
という点ですね。
病気の場合も、恋愛の場合も、
自分にできることならば
何でもすると思うじゃないですか。
でも、それでもだめなんだな。
うつ病という病気は、そのような
自己努力自体がエネルギー浪費につながるわけで、
もうあきらめて、自然治癒力に身を任せて、
待つしかないわけです。
失恋も同じで、
もういやだという相手を、
どうすることもできないんですね。
あきらめきれないけれど、
あきらめるしか、道はない。
このあたりは、うつ病と失恋が似ていると
その人は語るのでした。
失恋とうつ病が重なって、
つらい人でした。
重なってというか、原因と結果ですね。
春なのにね。仕方ないです。
支え合いましょう。
Last updated Apr 1, 2006 07:57:12 PM
Mar 31, 2006
ベランダに置き去りにされた
ベランダに置き去りにされた話
台風の夜、妻はベランダの鉢を片づけていました。風に吹かれ雨に打たれ、それでも花たちがかわいくて、わたしはなんてけなげな良妻なのだろうと思いました。部屋の中にいた夫が、濡れるとよくないよなどと言いに来たようでした。うんうんなどと言いながらはっとしました。夫はわたしを閉め出したのではないか。サッシを開けていったん中に入ろうとしたのですが、動きません。見ると、鍵を閉められたようです。何ということをされてしまうのでしょうか。妻は必死に窓を叩いて、鍵を開けてと叫びました。なぜわたしがこんな目に遭うの。ああ、こんな台風の中。
夫はすぐに来て、サッシを開けてくれました。鍵はかかっていませんでした。風圧の関係か、わたしがあせっていたのか、ただ手が滑っていたのか。夫に変な人だと言われました。
Last updated Apr 2, 2006 10:42:53 PM
トイレに閉じこめられた
その人は60歳代のひとり暮らしの女性です。夫を先日亡くしました。ようやくひとり暮らしにも慣れてきたのですが、トイレで恐い思いをしました。いつものようにトイレが終わって、出ようとして、ドアを開けようとするのですが、開かないのです。ドアノブのどこかが摩耗して、回しても開かないのだと分かりました。途方に暮れました。呼んでも誰もいないし、トイレの中だからドライバーなどの道具もない。トイレに閉じこめられたのです。
落ち着いてトイレを眺め回すと、100円ショップで買ってきた掃除道具があり、100円ゆえに薄っぺらで、これなら使えると思い、ドアの金具部分に押し当てて、開けることができました。
恐い思いをしたので、その後は閉じこめられないように工夫しているとのこと。ひとり暮らしの心細さですと語っていました。
築21年のお宅での話です。
Last updated Mar 30, 2006 05:53:33 PM
幸せを知る人
何が自分の幸せか、
知っている人は幸せだ。
考えた末ではなく、
自明な行動として、
自然な感情として、
知っている人は幸せだ。
こころは自分の幸せのありかを知っている。
本能が命じる方向である。
それは間違いがないだろう。
脳が知っているのではなく、DNAが知っている。
その命じるところに従うのがよい。
そうすることしかできない。
そのようにふるまうあなたが
わたしにはまぶしい。
Last updated Mar 29, 2006 09:20:38 AM
弱さに同情
ヘブル4:14-16
さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭
司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の
告白を堅く保とうではありませんか。
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありま
せん。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同
じように、試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて
、おりにかなった助けを受けるため、大胆に恵みの御座に近づ
こうではありませんか。
—–
主よ、どうしようもありませんでした。
わたしはいままでも弱かった。
これからも弱いのかもしれない。
どうしようもありません。
ただあなたの憐れみを受けるしかありません。
Last updated Apr 2, 2006 06:39:41 PM
良い行いをするために
「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」
エペソ2:10
Mar 26, 2006
春は かるく たたずむ
春は かるく たたずむ
さくらの みだれさく しづけさの あたりに 八木重吉
かるく あかるい 春に とりまかれている
Last updated Mar 27, 2006 12:00:02 AM
苦しみの中のゆとり
あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。
(詩篇四・一)
主よ、ありがとうございます。
よい日曜日でした。
Mar 25, 2006
全部ムダ
仲直りは無理だって。
こんなに頑張ったのにね。
全部ムダだったね。
だめだって。
当たり前だな。
はい。
やっぱりな。
知ってたよ、なんとなく、知ってた。
認めたくなかっただけなんだ。
でも、もう認めます。
はい。
Mar 23, 2006
「白夜行」連想
テレビドラマ「白夜行」からの連想
意識の見る最後の夢
この世界で見る最後の光
命の最後に
心に浮かぶ人
浮かぶ声
ぼやけてゆく視野の中で
最後に見える情景
どうせ死にたかったんだから
いいんだよ
どうせ死にたかったんだ
いいよ
生きていたって
どうせ
もう分かっているんだ
苦しむだけだろ
生きることがどんなことか
もう分かったから
いいんだよ
もう
もう
行かせてください
それでいい
それでよかった
最後まで守りたかったのはあなただった
最後に見えたのはあなただった