天道是か非か

歴史書「史記」で有名な司馬遷が
「天道是か非か」と嘆きつつ問いかけたことは有名だ

「天」という概念があり
たとえば
天網恢々疎にして漏らさず
天罰
などという

天は超越的な支配者で
それを物理法則に近いものととらえるか
意志を持って支配する絶対者に近いと考えるか
幅はあるだろうと思う

明確に定義する種類の問題ではない

天道是か非かと嘆く嘆き方は
実際はインテリ層のものだと思う

敗北インテリ層にとっては
酒と老子が慰めだった

彼らの場合には敗北という概念が相対化されて逆転されている
あくせくするのは愚か者だと詠う

実際
甲子園大会に行けずに
県大会の3回戦くらいで負けた高校生が
テレビで自分たちの地域の勝者が早々に敗退する様子を見れば
酒(ちょっと不適切だけれど)と老子に耽りたくもなるだろうと思う

実際は人間はそんなに差はないもので
紙一重のところで勝敗が決まっているだけで
入れ替わっても何も不思議はない程度のものだ

まただからこそ 
天道是是か非か
という嘆きもうまれるのだろう