「足るを知る」

「足るを知る」という考え方は、
時々の権力者や強い立場にいる人間に向けた訓戒である

弱者に向かっていまのままで我慢しなさいと言っているのではない
強い立場の人に「足るを知りなさい」と教えている
権力の抑止を教えている
 
ところがこれはしばしば弱者に向けての道徳教育となっていて 

一般庶民や、貧しい人たちのなかに
「足るを知る」「止まるを知る」を旨とする人が増えていけばいくほど、
「持てる者」の立場が安泰になっていく

「取って変わってやろう」とか
「あいつばかり富や名誉に恵まれるのは許せない」
といった庶民の嫉妬心や向上心を緩和してくれる役割を
この教えは果たしてくれる
『老子』はそのような役割を果たしていたというような説明がある

もともとの弱者は老子の本を読むことなどはないだろうが
知識階級の人が権力闘争に敗れて
中央政界を去ることになったとき
老子を読んでそれをもとにして
漢詩を作って有名になったりするらしい 

権力の構造は上に行くほど席が少ないから
一人をのぞいてみんなが敗北の経験をする
高校野球の甲子園大会と同じである

そう考えてみると
そこそこ頭のいい人たちのための
敗北の哲学と言えるかもしれない

心底貧しい人は
やっとのことで死を逃れることができるだけで
足るを知るなど全く関係なかったと思う

ーー
現代は「昨日よりも貧しい生活に満足しよう」との流れのようだと
改めて思う

日の出の勢いの中国に対抗して現実に勝つのではなく
あんな態度は下品だとして
エコとか環境とか言いつつ
結局自己収縮していくようだ

ーー
「足るを知る」どころか
「縮むのがいい」とみんなで信じようとしている
ちょっと無理やり

酸っぱいブドウと言うべきか、どうか