良い行いをするために
「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」
エペソ2:10
Last updated Mar 28, 2006 05:56:09 PM
Mar 27, 2006
いのちがけの愛
「あなたの妻を、いのちがけの愛で愛しなさい」
出典不明
簡単で自明、しかししばしば忘却される。
ここに書いておいて、忘れないようにしよう。
Last updated Mar 27, 2006 08:26:38 PM
Mar 26, 2006
春は かるく たたずむ
春は かるく たたずむ
さくらの みだれさく しづけさの あたりに 八木重吉
かるく あかるい 春に とりまかれている
Last updated Mar 27, 2006 12:00:02 AM
苦しみの中のゆとり
あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。
(詩篇四・一)
主よ、ありがとうございます。
よい日曜日でした。
Last updated Mar 26, 2006 11:56:58 PM
BSE問題
最近、このブログへの書き込みが多くなっている。
「こころの薬箱」の他のブログに比較して、
話題も自由、レベルも自由、ということで、
SMaPGのメンバーも書き込みやすいようだ。
少し前まで「さくらさんの知恵袋シリーズ」があり、
まだまだ続きそうだったが、
心理学やカウンセリングに関係したことに
してくださいと限定して、いったん打ち切り。
でも、「生活の知恵」はもっと共有したいですね。
ウィンドウズにたいしてリナックスがあるように、
通販カタログに対して、「生活の知恵」をリナックス-ライクに
プールして広げていくことはできないかと思う。
最近は「聖書的懺悔シリーズ」を提供していただいたが、
聖書解説コーナーではないこと、
それより早く問題を解決しなさい、
と伝えたら、特に問題はなくて、
奥さんに向けての一種のラブレターだという。
カウンセリングに応用できる点も多いけれど、
目的は達したと思うので、これでいったん打ち切り。
最近個人的に気になっているのは、BSE問題の認知である。
ある人はテレビで「嫌なら食べなければいいだけで、個人の選択の問題」
とまで発言した。
まあ、大いに驚いた。
問題はもっと広く浸透しているのであって、
たとえば飼料、食材、医療材料まで、考えなければならないことは多いし、
報道されるべきことも多い。
薬害エイズ事件や、薬害ヤコブ病事件の教訓が全く無視されている。
BSE&食と感染症 つぶやきブログ
「はたともこ日記」ブログ
上記ブログなどが参考になる。
ひとつだけあげると、「乳幼児に使用するワクチン」の製造過程で
BSE汚染がある可能性。
これだけでも、お母さん方なら、黙ってはいられないはずだ。
十年くらいたって、原因不明の神経障害を診察するのかと思うと、
いまから心が重い。
Last updated Mar 26, 2006 01:20:22 PM
Mar 25, 2006
全部ムダ
仲直りは無理だって。
こんなに頑張ったのにね。
全部ムダだったね。
だめだって。
当たり前だな。
はい。
やっぱりな。
知ってたよ、なんとなく、知ってた。
認めたくなかっただけなんだ。
でも、もう認めます。
はい。
Last updated Mar 25, 2006 11:01:11 PM
Mar 24, 2006
初恋1
1
初恋のことは妻との間で話題になることがあり、わたしには妻にだけ話していた思い出がある。
昭和40年当時、田舎の小学生が飛行機で東京の塾まで通っていたのは珍しかった。それは第一には母の気晴らしだったのだろうと思う。
母は横浜の旧家で代々続いた医者の娘だった。古い写真の一枚には母のお手伝いさんと母専用の運転手さんとが写っている。父と母は恋愛結婚をした。父は三代続く医者の家系で田舎の開業医の息子だった。医学部を出て米国留学して、そのあとどうするか悩んだが結局実家を継いだ。田舎ではやりたい放題だった様子で、母をかなり悩ませた。地域の名士だったから母は騒ぎ立てるわけにもいかず、週に一度の帝国ホテルの宿泊を息抜きにしていた。昔の友人と待ち合わせすることもあった。わたしも一緒に夕食をとることがあった。別世界のお話がそこにあった。お堀の桜がいまも記憶に鮮やかだ。母が身につける革製品の臭い。化粧品の臭い。それらも記憶にある。
早くから母は、田舎の娘とはつき合うなと繰り返してわたしに諭した。今から思えば田舎の女を憎んでいたのだと思う。女性を見て好きになりそうだったら、まず親や兄弟の顔を見てきなさいと言った。世の中には釣り合いというものがあると繰り返して言われた。躾、教養、たしなみ、品格、すべて厳しく見抜くことが大切だと言われた。そんなふうにして田舎の臆病でわがままな保守主義者ができあがるのだと今は思っている。
Last updated Mar 24, 2006 01:48:15 PM
初恋2
2
中学一年の頃、美くしい同級生がいた。わたしは男子で一番成績がよく、彼女は女子の中で一番成績がよかった。バスケットボール部で活躍し、下校時に買い食いして先生に見つかったことが何度もあった。快活で奔放だった。よく歌っていた。
夏の水泳大会の時、わたしが泳いでいると、わたしの名前を大きく叫ぶ彼女の声がわたしの耳に響いた。
わたしは恋を自覚し、自分のまなざしを意識し、彼女のまなざしも強く感じていた。周囲も、一番賢くて一番活発な彼女にきちんと恋を告げられるのはわたしだけだと思っていた。それでも、わたしの中では母の呪縛の言葉が響いていた。田舎娘はだめ。みんな見せかけだけ。品がない。あなたは大学に行ってからおつきあいするのよ。人生を大切にしなさい。
中学二年からは他のクラスになった。高校は同じだったけれど、やはり別のクラスだった。わたしにとってはずっと気になる人だった。当時でも男女交際をしていた人もいるし、交換日記などもしていたようだった。しかしわたしたちは年賀状を交換したこともなかった。
Last updated Mar 24, 2006 08:24:17 AM
初恋3
3
わたしが医学部の二年生の時、母が急死した。わたしは呆然と遺族席で挨拶していた。いろいろな人が弔問に訪れた。どの人もお祭り騒ぎのような喧噪だったようにわたしには映った。人々にとっては悲しみというよりは、ニュースのひとつであり、噂の種だったようだ。
いくつもの行事があって、後かたづけが始まった。わたしは寝てばかりいた。夏の暑い日だった。母の骨を箸で拾う時に、あまりに軽かったことを反芻していた。そして医学や医術を空しいと感じていた。父が秀才だったとはいえ、経済力と家格で格下の田舎の医家に嫁いだ母の不遇も考えた。家事も育児も一切せず、周囲と交わらない人だった。それは父の行いへの報復だったのだろうか。
香典の集計をしていたおじのそばで、わたしはぼんやりと分類表を見ていた。おじはどの系統の知人かをより分けて、帳簿を作っていた。中に「不明」と分類されている人が一人だけいた。「小笠原真理子」と書かれていた。そのときわたしは誰だろうと思い、母の系統の誰かだろうかと思った。
Last updated Mar 24, 2006 10:47:13 AM
初恋4
4
何日かたって、中学一年のときの彼女の名前「小笠原真理」を思い出していた。彼女がわたしの母の死を知って、香典を届けた、しかし奥まで挨拶には来ないで帰ったのではないか。女性からの香典はわたしの家では何かと問題になるかと気遣い、自分の名前の最後に「子」を付け足したものではないか。かろうじてわたしにだけ分かる名前。二十歳にもなって少年らしい思いつきだと思い自嘲した。
その後彼女とわたしの人生は交わることなく、いまに至っている。それぞれの子どもが二十歳になるほどの年月が流れた。これも一種の初恋かと思う。中学時代や二十歳の頃を思い出す手がかりとなる。妻にはすでに公認のことなのでこうして記してみた。本当のところ、誰だったのかは、いまだに分からない。わたしの空想の通りであるはずはないだろうと思いつつ、それでも、思いにふけることがある。
Last updated Mar 24, 2006 08:18:58 AM
かけひきのない純愛
かけひきのない純愛
日本語の組み合わせに
こんな可能性がまだあったなんて
Last updated Mar 25, 2006 05:07:31 PM
Mar 23, 2006
「白夜行」連想
テレビドラマ「白夜行」からの連想
意識の見る最後の夢
この世界で見る最後の光
命の最後に
心に浮かぶ人
浮かぶ声
ぼやけてゆく視野の中で
最後に見える情景
どうせ死にたかったんだから
いいんだよ
どうせ死にたかったんだ
いいよ
生きていたって
どうせ
もう分かっているんだ
苦しむだけだろ
生きることがどんなことか
もう分かったから
いいんだよ
もう
もう
行かせてください
それでいい
それでよかった
最後まで守りたかったのはあなただった
最後に見えたのはあなただった
Last updated Mar 24, 2006 04:10:32 PM
映画「めぐり逢い」An affair to remember
ハリウッドの古い映画「めぐり逢い」An affair to remember.1957年。
レオ・マッケリー監督、ケイリー・グラント、デボラ・カー主演。
これまで四回映画化されているとのことで、これは二回目のもの。
前半の機知に溢れたセリフが魅力的。よく練られた脚本だと思う。字幕翻訳もうまい。
後半はぐぐーっとメロドラマになってしまう。そのあたりは脚本の水準が下がる。
デボラ・カーの姿や所作の美しさに改めて感動する。
ドレスはこんなにも女性を美しくするものか。
アンジェリーナ・ジョリーとは
Socio-Economic-Classが違うのだと思う。
Last updated Mar 24, 2006 04:08:46 PM
Keith Jarrett Bach The french suites
Keith Jarrettの演奏で
BachのThe french suitesを聞いている。
繊細微妙な慰め。
ハープシコード。
モネの睡蓮の池の畔を
ゆっくりと歩いている気分だ。
いろいろな景色が現れる。
橋を渡り、
風が吹き、
日差しが翳る。
心が丸く丸くなる。
Last updated Mar 25, 2006 05:09:10 PM
英語の勉強
反省の会話
a.あんなに頑張ったのに。 All that for nothing.
b.何と申し上げていいやらわかりません。 I don’t know what to say.
a.なんて残念なことなんだ! What a pity!
時間が経って
b.仲直りはむりでしょうか? Can’t you patch things up?
Last updated Mar 23, 2006 12:12:17 PM
ふさわしくない
誰かがわたしを愛してくれたとしても
わたしはその愛に値しない
神がわたしを愛してくれてたとしても
わたしはその愛に値しない
その人が素晴らしいだけ
神さまが素晴らしいだけ
自分がふさわしくないと
思えてしまう
Last updated Mar 23, 2006 08:31:58 AM
Mar 22, 2006
諦めてしまえば、それで失敗
知人のメールに紹介されていた言葉。出典不明。
成功するまで続けず、
途中で諦めてしまえば、
それで失敗である。
—–
主よ、わたしは
諦めずにすみずみまで反省し
生まれかわりたいのです。
—–
特に、人間の品格や徳に関する面では、
途中でやめることなく、
あくまで求め続けることが必要だろう。
半ば習慣のように、品格と徳について
考え続けることが不可欠だろう。
自転車に乗るみたいに。
—–
春夜、雨音を聞く。桜はつぼみ。潮を含んだ雨にコンクリートが濡れている。
明日、自転車は乗れないな。沈丁花が懐かしい。
Last updated Mar 23, 2006 02:04:44 AM
マタイ受難曲 Nr.47 アリア
詩編30 より
聞いてください。主よ。
私をあわれんでください。
主よ。私の助けとなってください。
—–
「主よ、あわれみたまえ」
ですね。
マタイ受難曲で印象的な一節。
Nr.47 アリア(アルト)
Erbarme dich,mein Gott,
Um meiner Zaehren willen!
Schaue hier,Herz und Auge
Weint vor dir bitterlich.
Erbarme dich,erbarme dich
憐れみたまえ、わが神よ、
したたり落つる わが涙のゆえに!
こを見たまえ、心も目も
汝の御前にいたく泣くなり、
憐れみたまえ、憐れみたまえ!
(杉山訳)
カール・リヒター1958年版ではアルトは
ヘルタ・テッパーだと思います。
ドイツ語を解説。
Herr,erbarme dich unser!
主よ、われらをあわれみたまえ
と定訳になっています。
dichは神さまのことで、erbarmenは再帰動詞です。同情するという意味。
barmherzig は形容詞で、慈悲深い、同情心のある
erbarmen は armと関係あるだろうと思うが、
arm は 英語と同じArm腕という意味と、
poor 貧しい、乏しい、あわれ、という意味がある。
わたしをpoorと思ってください とも思え、多分そうらしい。
しかし一方で過剰に空想すると、
「私をその腕に抱いてあわれんでください」とも思える。
こちらのほうが実感がある。多分間違いだと思うが。
meiner わたしの
Zaehren 涙
um……willen ……のために、……のゆえに
Schaue show see
hier here
Herz heart
Auge eye
weint weep 泣く
bitterlich bitter ひどく
過剰な自由訳
主よ わたしを胸に抱き慈しみをください
幾筋も伝う わたしの涙を捧げます
私の心と目が あなたの御前で
はげしく 後悔の涙を泣くことを
おゆるしください
主よ わたしを胸に抱き慈しみをください
—–
真実徹底して反省することの勇気
Last updated Mar 22, 2006 01:48:43 PM
メア・クルパ
朝日新聞。アーサー・ビナード「日々の非常口」より
ラテン語によるカトリックの懺悔の祈りの一句。
Mea culpa,mea culpa,mea maxima culpa.
(私の過ち、私の過ち、目に余る私の過ちによって)
メア・クルパ メア・クルパ メア・マキシマ・クルパ
Last updated Mar 22, 2006 08:02:15 AM
No pain, No gain.
No pain, No gain.
痛みなくして得るものなし。
そうかも知れない。
痛さが身にしみて、
やっと自分を変えることができるのだと思う。
More pain,more gain.
と言ったら言いすぎだろうか。
神が与えるpainなら、
わたしにとってgainだ。
主よ、見守ってください。
すこしでもあなたの愛にふさわしいものに
生まれかわりたいのです。
Last updated Mar 22, 2006 11:32:24 PM
Mar 21, 2006
慎み深い徳
韓国新聞・中央日報を朝日新聞が紹介。韓国首相の傲慢で不正直な振る舞いに対して、「首相という職務は、仕事だけをうまくやればいいというわけではない。普段の行動でも慎み深い徳を備えていなければならない」と書いているという。素晴らしいことだ。
「普段の行動でも慎み深い徳を備えていなければならない」よね。
Last updated Mar 21, 2006 08:24:39 PM
コリント 試練
II コリント 10:13
あなたがたのあった試練はみな
人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、
あなたがたを耐えることのできないような試練に
会わせるようなことはなさいません。
むしろ、耐えることのできるように、
試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
—–
この試練も神からのメッセージである。
つらさをじっと味わう。
Last updated Mar 21, 2006 02:22:16 PM
絵の具箱の黒
苦しみの経験はたとえていえば、
自分の絵の具箱に黒が入ったようなものだ。
絵の具箱に黒があるからといって、
絵が真っ黒になるわけではない。
使わないこともできる。
でも、必要な時には黒を少しだけ使うこともできる。
そうすることで絵に深みが出る。
経験をそのような形で自分の深みにしたい。
逆境を自分の力に変えよう。
暗闇と苦しみは、自分を変える機会だ。
成長のチャンスだ。
絵の具箱の色を増やしておこう。
今までの自分をいったん「ストップ」して、
新しい自分と出会うチャンスだ。
後悔するばかりではなく、
次からはどのように生きてゆくか、学びたい。
人生の様々な局面から何を学び取り、
今後に活かしていこうと思う。
しばらく続いた
神さまとの会話は
いまそんな方向付けになっている。
まだ続くだろう。
Last updated Mar 21, 2006 11:23:09 AM
時がある
伝道者の書3章1-11
天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。
探すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、
縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
働く者は労苦して何の益を得よう。
私は、神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし、人は神が行われるみわざを、初めから終わりまで見き
わめることができない。
—–
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
その通りだ。
ゆだねようと思う。
Last updated Mar 21, 2006 08:27:25 AM
視力の弱いわたしたち
そうですね。
わたしたちには1メートル前しか見えない。
神には100メートル前が見えている。
あるいは、わたしたちには1秒先しか見えない。
神には100年先が見えている。
視力の弱いわたしたちは
神から与えられたものを信じるしかないのだと思う。
暗闇に泣くわたしたちは
朝の光を信じて待つしかない(詩編30)
Last updated Mar 22, 2006 08:00:13 AM
Mar 20, 2006
サタンの策略
私信から
「自分を振り返って、
『もうこの罪を犯さないようにしよう』
と思うことはいいことだけど、
必要以上に自分を責める気持ちは
悪魔(サタン)の策略だから気を付けましょう。」
過剰な反省は私たちを神様から引き離そうとする
策略だというのである。
反省はするが、
神さまのほうをしっかり向いていよう。
何でも過剰はよくない。
ひなたで陽光を浴びるように
神さまの愛を浴びていたい
その愛のあたたかさで
人を愛し守りたい
Last updated Mar 21, 2006 12:44:08 AM
愛することと愛されること
ヘッセの「メルヒェン」という短編集の中に
赤ちゃんを産んだばかりの貧しい女性のところに魔法使い
(?神様のみつかいでしょうか)
のおじいさんがやってきて「願いを一つ叶えてあげよう」といいます。
女性は「この子が人から愛されるように」と願うのですが
周りからちやほやされて、愛されてばかりいたために
放蕩息子になってしまいます。
女性は「願いごとを間違えた、人を愛することのできる
人間になってほしいと言うべきだった」
と、悔やみます。
—–
人を愛することのできる人間になります。
生まれかわります。
だから神さま。
Last updated Mar 21, 2006 09:06:13 AM
竹林を吹く風 家持 イ・ヨンエ ホ・ジノ監督 「春の日は過ぎ行く」
万葉後期の歌人、大伴家持に
わが宿の いささむらたけ 吹く風の 音のかそけき この夕べかも
があり、この竹の音を私は愛している。
韓国映画にイ・ヨンエ主演、ホ・ジノ監督の「春の日は過ぎ行く」がある。
イ・ヨンエはラジオのパーソナリティー役。その番組で紹介するために、竹林を吹く風の音を録音する。その録音係の男性と恋愛が始まる。最後の場面で、二人は別れて歩き出す。イ・ヨンエは振り返って彼を見続ける。男は振り返らない。
この映画はホ・ジノ監督の青春の記録であり、実際にはホ・ジノ監督が振り返ってじっと見つめ続け、女は振り返らなかったのだとの話も聞いた。
家持が和歌で描いた、竹の音の竹の音らしさを、ホ・ジノ監督は映像と音で描いた。
万葉集と韓国映画の重なりにわたしは時を忘れた。
Last updated Mar 20, 2006 06:37:11 PM
暗闇を見続ける
もうこの暗闇から逃れようとも思わない。
引き受けるつもりだ。
言葉を多く語らない方がいい。
結局、言い訳と自己正当化にしかならない。
「見える暗闇」という言葉を思い出した。
そうだ。この暗闇を見つめ続け、
暗闇が見えるようになるまで、
あくまで見つめ続けようと思う。
それがどんな暗闇なのか
見つめ続けようと思う。
しばらく行動する人はやめて、
見る人に徹しようと思う。
Last updated Mar 20, 2006 09:58:32 AM