私にとって仕事は瞑想(めいそう)なの いつだって明日があり、来世さえあるのよ。なぜ急ぐのかしら

「お母さんのお裁縫はとても綺麗だけど、一つのものを作るのに半年や一年、ときにはもっと長い時間がかかるわ。最近は同じ事をあっという間にやってしまう性能の良いミシンがあるのよ。私が探してあげようか」と姉のスラジが尋ねた。

「どうして?」と母は聞いた。

「時間の節約ができるのよ、お母さん」

「時間が足りなくなるとでもいうの? ねえお前、永遠っていう言葉を聞いたことある? 神様は時間を作るとき、たっぷりとたくさん作ったのよ。私は、時間が足りないなんていうことはないわ。私にとって、時間は使い果たしてしまうものじゃなくて、いつもやって来るものなのよ。いつだって明日があり、来週があり、来月があり、来年があり、来世さえあるのよ。なぜ急ぐのかしら」、スラジは納得しているように見えなかった。「時間を節約し、労働を節約して、それ以外の事をもっとできた方がよくないかしら?」

「あなたは無限なるものを節約して、限りあるものを費やそうとしているのよ。ミシンは金属から作られていて、世界には限られた量の金属しかないわ。それに、金属を得るためには掘り出さなければならない。機械を作るためには工場が必要で、工場を作るには、もっと多くの有限な材料が必要なのよ。掘るということは暴力だし、工場も暴力に満ちているわ! どれだけ多くの生物が殺され、金属を掘るため地下深く潜るような仕事でどれだけ多くの人が苦しまなければならないでしょう! 彼らの苦しみの話を聞いたことがあるわ。なぜ自分の便利さのために、彼らを苦しめなければならないの?」。スラジは理解したように見えた。

 スラジがうなずくのに勢いづいて母は続けた。「私の体力が足りないっていうことはないから、いつだってエネルギーがあるわ。それに私は仕事が楽しいのよ。私にとって仕事は瞑想(めいそう)なの。瞑想は、ただマントラを唱えたり、静かに座禅を組んだり、呼吸を数えたりすることだけじゃないのよ。裁縫も、料理も、洗濯も、掃除も、神聖な心持ちでなされるすべてのことが瞑想なの。あなたは、私の瞑想を取り上げようというのかしら? 針仕事で忙しいとき、私は平和な気持ちになるの。すべてが静かで、穏やかだわ。ミシンは大きな音を立てて私の邪魔をする。ミシンがガタガタいっているときに瞑想するなんて想像もできないわ」

「それに、ミシンが仕事を減らすというのは、単なる錯覚に過ぎないかもしれない。年に一つか二つのショールを作る代わりに、年に10ものショールを作る羽目になって、材料をもっとたくさん使うことになるかもしれない。時間を節約したとしても、余った時間で何をするというの? 仕事の喜びは私の宝物みたいなものなのよ」

 これはまさに真実だった。刺繍をしているとき、母はほんとうに幸せそうだった。母が作るものに同じものは二つとなかった。母は新しいパターンやデザインを作り出すことに喜びを見出していた。もちろん母は、どんなパターンを作るか前もって考えたりはしなかった。母は作りながら即興的にデザインしていった。母の針仕事の最も驚くべき点は、母がそれから多大な喜びと幸せを引き出していたことだった。
【『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール/尾関修、尾関沢人〈おぜき・さわと〉(講談社学術文庫、2005年)】