儒学 中国 インド

親を大切にし目上を敬う人間が、上の者に逆らうことはめったにない。上の者に逆らわない人間が組織の秩序を乱すことはありえない(その人と為りや、孝弟にして上を犯すを好む者は鮮なし。上を犯すを好まずして乱を作すを好む者は、未だこれあらざるなり)『論語』学而篇
人民というのは、政府の施政方針に従わせることはできても、その理由まで理解させるのはむずかしい/人民は政府の施政方針に従わせておけばよく、その理由まで知らせる必要はない(民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず)『論語』泰伯篇
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このあたりを見ると
たしかに儒学は支配の道具だったといえる

それが悪いわけでもない
どうせ大半は支配される側に回るのだから
幸せに支配されればそれでいいと思う

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支配者側にもいろいろな事情はあり
インドと中国では違いがあるという話が次の一節

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アジアの二大国、実は古代の学術分野に関しては、得意分野が真逆という特徴があるのです。
中国=実学(社会をいかに良くしていくかという学問)、歴史
インド=宗教哲学(ニーチェなどに影響)、数学(特に代数学が近現代の数学に大きな影響)
奇しくもこの二カ国は、相手の得意ジャンルはさっぱりダメという対照的な面を持っていて、中国では高度な宗教哲学や数学はほとんど発展しませんでした。一方インドでは、紀元前にインドをほぼ統一したアショカ王の生没年すら、はっきりわかっていないほど(説によっては100年くらいの開きがある)歴史に興味がなかったりするのです。
なぜ、こうなってしまうのか、これはそれぞれの学術を担った階級の差を反映しているからなのです。
まず中国の学術を担ったのは、士大夫と呼ばれる貴族たちでした。これは現代でいえば、「政治家、官僚」に当たります。現代にひきつけて考えてみても、たとえば政治家や官僚が学術書をあらわし、文化を担っていくとしたら、それはおそらく「いかに今の日本を良くするのか」という「実学」が主柱となっていくことでしょう。彼らの問題意識がそこにあるからです。
さらに、社会的な事象を考える上で、必ず参照されるのが過去の歴史でもあります。今回の金融危機の際、1920~30年代の大恐慌の教訓を参考にしようという盛り上がりがあったのは、この典型例でもあります。
一方、インドの学術を担ったのは、バラモンと呼ばれる宗教家たちでした。彼らは神の世界を相手にしているがゆえに、高尚な宗教哲学や、神の完全性の反映ともいえる数学には力をいれますが、現世を扱った歴史にはあまり興味を示さなかったと考えられるのです。

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なるほど