テレビが私にくれたもの

朝、呆然としていてテレビを付けて意識がはっきりするまで少しだけ待つ
ドア(そんなドアはないのだけれど)を叩かれたような音がして
目がさめたのだけれど
よく考えたら
そんなはずはないので
現実になめらかに戻るために時間が必要だ

おはようのあいさつは
相手の目を見て元気よくといっている

そういえば
忙しくて
相手の目を見ていなかったと気がついた

ーー
テレビのなかは
そう状態または控えめに言っても軽そう状態だ

だから気晴らしになる

しかし生育の長い間、このそう状態または控えめに言っても軽そう状態に
さらされていたら精神はどうなるだろうかと考えた 

母親が忙しいときや
子供の機嫌が悪い時に 
「テレビを見ていなさい」と
テレビが育児係になることは多い

その場合、子供の頭の中は
強制的な注意欠陥状態になり
過度の注意転導になり
ついさっき言ったことをすっかり忘れて
強い刺激でなければ反応しない状態になり
というわけけで
テレビり中の世界が頭の中にすっぽり入ったら
まことに生育にはよろしくないだろうと思う

自然な連続がない

また背景にはたいてい音楽が流れている

人間が生きている自然状態で
音楽が流れていることは殆どない
背景にあるのはむ風の音とか水の音とかむその程度だろう
そのあたりも
テレビが生み出す第二現実の大きな特徴だと思う

注意力があってテレビをじっと見つめていると
テレビの中では落ち着かなくて注意が長く続かない状態が展開されていて
結局は長い注意の持続をしない訓練をしていることになる

ーー
もちろんんテレビは
世界を大きく広げてくれる

座っているだけで
世界の車窓や
世界の社食を体験できる
世界遺産をみて
動物のセックス場面を無修正で子供もみている 
ーー
しかしその一方で
ADHDやそう状態の強制刷り込みになっていないかと気になった