許された涙・渡辺和子「愛することは許されること」

46歳の母親は語る。
「自分の気分が不安定で子どもを叱ってしまったことがある。子どもに罪はない。子どもに謝ろうと思った。子どもに話しかけたらすっかり許してくれていた。こんなにも信頼してわたしを許してくれている子どもをいとしく思い、涙が出た。」

子どもの立場から言えば、愛することは許すことである。
母親の立場から言えば、許されることは愛されることである。

しかしこの観点からは、愛するなら許す、愛さないなら許さない、許すなら愛する、許さないなら愛さないという条件付き命題となってしまう可能性がある。条件付きで愛する。条件付きで許す。

一方、カトリックの渡辺和子の著書に「愛することは許されること」がある。
どうして愛することが許されることなのか、上記の思考の範囲では一瞬とまどう。概略を説明してみる。
人はみな原罪を背負っている。みな罪人である。
神は人々を一方的に愛してくれた。神は人々を一方的に許した。
愛され許された人には何ができるか。人は隣人を愛することができる。隣人を愛することによって神を愛することができる。そのことによって神に許されることができる。
だから、愛することは許されることである。言葉を補えば、「隣人を愛することによって神を愛することは、原罪を背負っているわたしたちが神に許されることである。」

愛することによって許されている、美しく澄んだ46歳の魂だった。