召使いに英雄なし、しかし、

古来、「召使いに英雄なし」という。これは患者さん方にも様々に形を変えて説明している点であり、平たくいうならば「自分の夫が家でどんなにつまらない人間に思えたとしても、そんなものだ。社会の評価がほどほどによければ、よいと考えましょう」ということであった。

先日某課長と話した際に、彼はこう言ったのだった。「どんな人間も、召使いとして使われていれば、召使いになってしまいます。召使いの目から主人を見れば、下着のありかも分からないつまらない人間に見えてしまいます。いつも小銭を整理できないつまらない人間に見えてしまいます。しかし、主人の側で、もっと期待を持って、尊敬を持って、遇したらどうなるか、考えてみたらいいのではないですか。きっと、主人の人間としてのすばらしさを発見し、おそばで仕えることへの喜びに気付くのではないでしょうか。そして主人が社会で果たしている大局的な活躍に応じて、家庭生活の細事も意味のあるものになるはずでしょう。」

なるほど。さらに彼は語る。「そのように部下に接していれば、部下は評価される喜びに目覚めます。いまいわれている、成果主義などとは次元の異なるものです。人間の持つ多面的な価値を金銭で一元化することはできないでしょう。人間と人間の社会ですから。」「尊敬し合う縦組織、かつ、競争し合う横組織、結局これが一番強い組織です。そのような組織を私は育てますよ。」

「召使いに英雄なし」を改めます。「召使い扱いされていれば、どんなに可能性があっても、召使いにしかならない」。
課長さん、ご教示、ありがとうございます。